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インペリアル・イースター・エッグ概要と制作者ファベルジェに関して


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概要と制作者ファベルジェに関して記述したコーナーです。
ただ、何分に資料が英語だったので、翻訳の都合上、
もっと正確な表現があったかもしれません。なにかありましたら、
管理人の連絡先まで教えてくださると幸いです。


▼インペリアルイースターエッグ関連本
  Amazon.co.jp通販リンク
  The
Faberge Imperial Easter Eggs
(表紙:ウインターエッグ)
  Faberge
Eggs: Imperial Russian Fantasies
(表紙:ルネッサンスエッグ)
  Faberge
Eggs: Masterpieces from Czarist Russia

   (表紙:38番目のエッグ・クレイドルウィズガーランズエッグ)
  Faberge
Eggs: A Retrospective Encyclopedia
(表紙:スワンエッグ)
  Faberge
Eggs: Imperial Russian Fantasies
(表紙:ルネッサンスエッグ)
  Masterpieces
from the House of Faberge
(表紙:戴冠式エッグ)

 ※紹介している関連本は洋書ですが、インペリアル・イースター・エッグは、
   写真だけでも見る価値のある芸術品だと感じます(^^)


インペリアル・イースター・エッグの概要

インペリアル・イースター・エッグとは、ロシアにて復活祭の贈り物として、 1885年から1916年までの間に作られた卵のことで、
ロマノフ王朝の秘宝と言われています。

ロシアには復活祭の時に卵の形をした贈り物を贈る習慣があり、 それにちなんで、時の皇帝アレクサンドル3世(ニコライ2世の父)が、
卵の形をした贈り物を、皇后に贈ったのが始まりとされています。 エッグは皇后だけではなく、皇帝の母などに贈られた物もあります。

ロシアの帝政崩壊の折、王家の財宝は革命政府に没収されたのですが、 財政難から革命政府が売り飛ばし、その大半が国外に流出しています。

インペリアル・イースター・エッグは、別名、「ロイヤル・イースター・エッグ」とも呼ばれ、 最近でのオークションにおける、1個の卵の落札価格は億単位
。 エッグ一つあたりの制作費は、当時の大臣の年収を上回る程の豪華絢爛さです。

ロマノフ王朝の秘宝「インペリアルイースターエッグ」は、全部で56種類(もしくは58種とも)言われており、 その内の44種類が、その存在を確認されています。

コナンの作品中で、50個と言われているのは、 青山先生も見たという、 1999年10月放送のNHK番組、
「地球に乾杯 ロマノフ王朝の秘宝を追え
 皇帝の命で作られた50個の卵・驚くべき細工とその流転」
の影響なのでしょうか?(^^;)

インペリアル・イースター・エッグの個数は、56個若しくは58個というのが、 一般的に言われている個数のようです。

この56個のエッグには、それぞれ非常に細かい仕掛けが施されており、 スワンエッグや孔雀エッグのように、仕掛けのある動物の模型物もあるかと思えば、
戴冠式に使われた馬車を精巧に象った模型や、 帆船の模型、汽車の模型が内蔵されている物など、 非常に様々なタイプのエッグがあります。
(個人的に好きなのは、戴冠式エッグとウインターエッグ(^^))

黄金と宝石の豪華な装飾もさることながら、その精巧な作りから、 今では誰も作ることができないとさえ言われています。

今現在、エッグを所有しているのは、イギリス王室が3個、モナコ王室が1個、 スイスの富豪が、カイロのオークションで競り落としたエッグが1個(スワンエッグ)、
アメリカのフォーブス・マガジン社が2個、ロシアの個人所蔵となっている物が10個、クレムリンの博物館が10個などとなっています。

また、個人が米ニューヨークのクリスティーズ社の競売にて、 02/04/19に、約870万ドル(約11億3,000万円)で競り落としたと言うことでニュースになった、
ウインターエッグ(卵形に細工した水晶を、ダイヤや黄金、プラチナで装飾したエッグ) などもあります。

制作者「ファベルジェ」について

ロシア帝政時代(ロマノフ王朝期)宮廷御用達の宝石細工師。
ロマノフ王朝の秘宝「インペリアル・イースター・エッグ」の制作者。
フルネームは、ピーター・カール・ファベルジェ。
英語の綴りは、 Peter Carl Faberge。
1846~1920。

エストニアに定住した、フランスのユグノー教徒の孫として サンクトペテルブルクで生まれました。 ファベルジェの父親は、この地で宝石職人をしていたそうです。

1870年に、父親が営んでいたサンクトペテルブルクの工房の管理を引き継ぐこととなり、 ゴシック様式からアール・ヌーボーまで、様々な様式を組み合わせ、
宝石やオブジェクトを作成していきました。 250人(500人という説も有り)のデザイナー、宝石細工師、金細工師、 エナメル職工、細密画家を工房で雇い、事業に成功した企業家でもあります。

1882年にロシアの展示会(Pan-Russian exhibition )で賞を獲得し、 その展示会に出席した、ロシアの皇帝アレクサンドル3世(ニコライ2世の父)の目に留まり
、 宮廷御用達の宝石職人となります。
この時より、ヨーロッパの貴族からの注文なども受けるようになったようです。

1880年代中頃に、皇帝アレクサンドル3世より、エッグの制作を依頼され、 ロマノフ王朝滅亡まで、エッグの制作に関わることとなりました。

1918年、ロシア革命によってロマノフ王朝が滅亡した際、 工房を閉鎖し、ロシアから脱出します。一端フランスへ回避した後、スイスへ。
1920年に、スイスのローザンヌで没。享年74才。



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海月くらげコワレ処管理人

投稿者プロフィール

コワレ処管理人。群馬県在住の社会人。工藤フリークな平次と、萩松好き。コナンサイトは2000年1月2月より運営。コナン、タイバニ、ガンプラ、文具好き。ワタル・トルーパー世代。ほしいものリスト

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