■さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白
【さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白】を
購入、もしくは詳細を知っている方など、一般のアマゾン利用者より寄せられた感想。 総合平均おすすめ度: 異端児が書いた権力中枢の内幕? 小泉内閣の改革路線で、それまで冷や飯を食っていた異能の人物が抜擢されて、政府の中枢で活躍する物語として読むと面白いが、主人公が自分で書いているので、自分への評価が甘く、関わった政策等を自分の業績として自慢している様で嫌な感じがする。 また対立する相手(日銀、財務官僚等)への評価が辛く、救いようもない無能扱いでバッサリ断定してしまうのもバランスに欠けている感がある。 福田内閣では、筆者と反対の立場を取る勢力(増税派)が盛り返しているが、日本の将来像を描くにはどちらの政策が良いのかこの機会に見定めたいと思う。 なぜ郵政民営化等の行財政改革が必要だったのかよくわかる まず、文章が読みやすい。著者の理論的かつ実際的なところに共感がわく。勿論、実現可能かな、ちょっと厳しいのではと感じるところがあります。 財政改革では、増税派=財政タカ派(与謝野馨など)とデフレ克服により経済成長を導き税収増=上げ潮派(中川秀直など)の確執、自民党国会議員では党人派と官僚派のセンスの違いが描かれています。公務員改革にも触れられていますが、小泉、安倍内閣で行われまたは行われようとした様々の改革の意味・背景が分かります。最後の方で社会保険庁の消えた年金問題なども取り上げられていますが、民主党の案より、著者の考えの方が説得性があります。著者は、竹中平蔵氏を師と仰いでいますが、小泉、安倍、中川秀直など党人派の考えに親和性があります。これらの人物にくわえ政府税調の委員長を愛人スキャンダルで辞した本間正明阪大教授などの人物像が好意的に取り上げられています。他方、財務省を財政原理主義、日銀を反インフレ至上主義とこき下ろします。 著者は東大の数学科の出身ですが、いろんなプロジェクトを短期間に仕上げてゆく企画立案能力、実行力に敬服です。日本の官僚は優秀と言われていますが、本人の言によれば、日本の官僚の国際競争力は高くないそうです。 でも、日本の国としての国際競争力は低下していくと言われれば、そうだろうなとさびしく感じます。 由らしむべし、道連れにすべし 小泉首相が強行した「構造改革」にはアカデミズムから転進した竹中平蔵が欠かせなかった。その竹中氏は小泉辞任にともなって政界を退いた。黒子としてではあったが本書の著者はその後に残って安倍内閣の改革で辣腕をふるった。表紙のカバーには「財務省などが隠す国民の富『埋蔵金』を暴露し一躍脚光を浴びる」と書いてある。『さらば財務省―官僚すべてを敵にした男の告白』という題名やこのようなキャッチフレーズで本書がキワモノであるかのような印象を与えるのは著者の本意ではないだろう。たしかにこれらの表現は本書の一面を言い当ててはいる。しかし真面目な読者は本書に盛り込まれた個別的、具体的な政策論をさらに深く理解したいと思うだろう。 他方では、著者の言い分を一方的だと難ずる人も少なくないだろう。とりわけ官僚(著者の命名する「過去官僚」も含めて)や彼らの意を体する閣僚たちの反発が凄まじいものであることは本書からも伝わってくる。日本の社会は彼らを代表とする多数派の支援、許容、あるいは不作為によって生き延びている。それが可能であるならば、ただ感情に走るだけでない、本書同様に筋の通った(望むらくは官僚による)反論を読みたいところである。 「日本はもっとも成功した社会主義国だ」と言われたことがあった。社会主義国のほとんどが破綻を露呈した今になってみると、このような言い方はただの冗談ではなかったと思われてくる。そう思って読むと著者の鉾先は、統制経済で市場を管理することによって領土を拡大した「霞ヶ関帝国(むしろ、霞ヶ関連邦?)」に向かっていることに気づく。この「財政原理主義」を奉ずる権力の基盤は自由化の進展によって脅かされつつある。そしてそれがそもそも何のための帝国であるかも解き明かされる。彼らにとって「市場原理を前面に出す竹中さんは生理的に受け入れられない相手だったのだろう」。著者の立場はもちろんこの竹中流である。小泉、安倍両内閣に顕著であったこととして、その国際感覚や歴史意識を記憶する人も少なくない。しかし本書にそれに触れるところがない点も竹中流である。 内容は別として自慢が鼻につく なかなか売れているという噂を聞き、読んでみた。前半は高橋洋一さんの役人時代の成果について自慢っぽく書いてあり、何だか鼻持ちならない。役人本というよりは政治家本に近い印象。が、後半は公務員制度改革に対する想いなどまともである。買って読むほどのことはなかったか。 ばさら財務官 こんな小物に日本が振り回されてしまった、 それが小泉構造改革である、ということが了解できる本である。 筆者は東大卒の財務省官僚だったそうである。 しかし、東大卒や財務省官僚であるということは、 即、人間としての優秀性や、 政治家としての卓越性、 学者としての独自性の資質を立証するものではない。 筆者は、ただの「会計屋」に過ぎない。 たとえば、冒頭の部分である。 筆者は「大きな政府」や「中央集権の官僚機構」を「社会主義」と非難している。 その上で、 社会主義は失敗したのであるから悪である。 したがって「大きな政府」「官僚機構」も悪である、と論理展開している。 おやおや、である。 「大きな政府」はケインズらの政策の所産であり、社会主義とは無縁である。 マルクスが「福祉国家」のような改良主義を容認するはずがないではないか。 水に落ちた社会主義を叩くという時流に悪のりし、 ついでに嫌いなものをその仲間にでっち上げて攻撃するという、 いかにも日本的な卑俗性が発露されている。 また筆者は、政治学の素養も欠くようである。 「安倍前総理から政治任用され、官邸に残った」としている。 安倍に政治任用する資格がある、と思っているのである。 安倍は、小泉が郵政選挙で国民を幻惑させて得た議席を継承したに過ぎない。 国民が「教育基本法」の改正や「国民投票法」の制定、 そして「政治任用」の権限を信託した政権では決してない。 「政治任用」は、国民が任命権者を選択することで正統性を付与される。 権限があるとすれば「自公」という連立の枠組み、ということになる。 選挙の洗礼を受けていない安倍に「政治任用」の権限などもともとないのである。 筆者は、権限は総理大臣という地位に由来すると信じているらしい。 権威主義者なのである。 そういう意味では実に東大卒であり、元財務官僚である。 というわけで、「平成の官僚は決して有能な集団とはいえない」という筆者の主張に、 その点では強く同感してしまうのである。 |
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