■ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち
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購入、もしくは詳細を知っている方など、一般のアマゾン利用者より寄せられた感想。 総合平均おすすめ度: サブカルチャー的少女文化論として、とても面白い。 ケータイ小説論はたくさん出ているようだが、そもそもサブカルチャーに造詣が深くない人が「文学か?」などと分析しても、全く意味を持たない。テキスト論としてはそれもあり得るのだとは思うが、今急に「若者文化」に接して驚いているような評論では、読んでも仕方がない。やはり、これだけ十代の少女に蔓延しているからには、正しく「少女文化の歴史」の中で吟味することが最低限必要だと思う。 その点著者は1989年の山根一眞『変態少女文字の研究』から宮台真司、大塚英志、東浩紀、土井隆義らの評論もきちんと視野に入れている。その上で浜崎あゆみと尾崎豊の違い、『ティーンズロード』などの雑誌やマンガ『ホットロード』『NANA』『頭文字D』などを例に、ヤンキー文化(郊外型、地元つながり、コミュニケーション依存、DV傾向)について分析を試みる。そこから、「不幸自慢のインフレスパイラル」としての「自分語り」であるケータイ小説の性格が露わになる。 もちろんこれだけで全てを語ることはできないだろうが、「ヤンキー文化と相性のいい相田みつを」など、独自の視点がなかなか説得力があり、面白かった!! 批評レベルがケータイ小説的。ってことか… こんなスッカスカでペラッペラのありきたりな言説で「批評」ですって、 ねえ、みんな、聞いた? うぷぷー。 ちなみに装丁は常磐響っぽさを意識? なんもかもが10年遅えよ。 とにかく「若者文化に詳しい文化人」のイスが欲しいんですね、わかります。 この著者程度でいいんなら東京だけで三千人はいるとみた。 で? ケータイ小説がヒットするバックグラウンドを「ヤンキー」「郊外化」 「マンガ」「浜崎あゆみ」「メール」などのキーワードから解明していくノンフィクション。 ところどころ「なるほど」とうなずくような部分もあるのだが、 全体としてはメリハリがなく、結局なにが言いたいのかよう分からなかった。 「上京に憧れない若者達が増えているが、それが地元の共同体の復活になる」とか 「クリエイターを夢見てアルバイトを続ける若者は非正規社員を好む企業の需要と一致している」 といった考察は非常に鋭く、同感だ。 しかし、著者はケータイ小説を読む若者達やそれをヒットさせた環境を 世間に知らしめることには成功しているが、それが何なのか、結論が出ていないように思う。 結論は皆さんで考えてくださいということなのかも知れないが、 なんとなく尻切れトンボの感を否めない。 また、かなりの手間をかけてケータイ小説を分析したり、郊外の取材等をしている位なのだから、 ケータイ小説の読者である少女達のインタビュー等も入れればもっとメリハリのある内容になったように思う。 すばらしいヤンキー文化論。ただしケータイ小説は読みたくならない。 著者は「あとがきにかえて」で、「多くのオタク論が幅を利かせている中、なぜかヤンキー論はほとんど出てこない。この国においては、ヤンキー文化全体が『被差別文化』なのだ」と憤り、都築響一『夜露死苦現代詩』に好意的に言及しつつ「相田みつをを疎外すること、ケータイ小説を疎外することでしか自分たちの優位をアピールできないところに、現代詩、純文学の行き詰まりがある」(p217)と断じる。 都築本は、歩道橋に落書きされた「夜露死苦」に過去数十年の現代詩を超えるリアリティを認めていたから、著者が参照するのは分かる。しかしデュシャンが小便器を“遡及的に”アート化したように、「夜露死苦」が詩であるのは、それを拾い上げる都築の文脈創造力(編集力)によると言うべきだろう。 しかも私が思うに、なるほどケータイ小説の成立にヤンキー文化が深く関わっていたとしても、ヤンキー文化論とケータイ小説論は峻別されるべきではないか。そして本書は、作品自体と向き合う姿勢を示した東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』と異なり、要するにケータイ小説を手がかりとしたヤンキー文化論ではないか? ただし秀逸なヤンキー文化論であるのは確かで、ケータイ小説の系譜を示した上でこれをファンタジーと断じつつ、その作者たちも意識していない「デートDV」の常態化を指摘する件りは素晴らしい。さらに現代の若者たちがケータイを持つことで閉じ込められた「コミュニケーションの檻」に話を進め、ケータイ小説の真の「文学的主題」とはこの檻との対峙だ(p210)、という分析も説得的。 ちなみに、著者はケータイという技術がコミュニケーションを変容させたと述べており(4章)、「技術決定論」に否定的な『ネットいじめ』の荻上チキと対比できる。これは『東京から考える』における東浩紀vs北田暁大の構図にも通じる問題だが、それはまた別の話… 夜露死苦現代詩 ゲーム的リアリズムの誕生?動物化するポストモダン2 (講談社現代新書 1883) ネットいじめ (PHP新書 537) 東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス 1074) 著者の思いつきに過ぎないのでは 今の若者や社会の実態を知ることができるのでは、と期待して本書を読み始めた。 しかし、まったくの期待はずれだった。 本書の基本的な問題は、本書の著者がケータイ小説にもその読者にも、 理解しようという姿勢や共感をほとんど示していないことである。 本書には、浜崎あゆみの歌との関連や、読者が地方郊外に多く東京にあこがれを持たない、 など著者の知識の広さや発想の豊かさを感じさせる論考もある。 しかし、そうした論考も十分な検証が行われておらず、 著者の思いつきに過ぎないように私には思える。 こうした本の存在は、ケータイや今の若者・社会について 偏見を広げる結果をもたらすのでは、という懸念を私は抱いている。 |
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