■「生きづらさ」について (光文社新書)
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購入、もしくは詳細を知っている方など、一般のアマゾン利用者より寄せられた感想。 総合平均おすすめ度: 根は深い 雨宮氏の実体験を横糸にして、萱野氏の知識を縦糸にして、日本の病巣を読み解く本。対談形式なのですぐ読めます。良書。 もうナショナリズムの問題は、それほど重要ではなくなるようです。 最底辺の労働現場で追い詰められている人々が自己責任の思想に絡めとられ、時に自傷や自殺に追い詰められるより「ナショナリズムにいくほうが断然いい」(p97)と、著者2人は言う。「難民化してしまうぐらい不安定な生活状況に置かれている人というのは、そもそも社会との回路をほとんどもっていない」(p101)ので、ナショナリズムに染まるほうが「本人のためだし、(中略)健全だと思う」(p102)から。萱野はさらに「ナショナリズムを抑えることができるのは、反ナショナリズムではなく、べつのかたちのナショナリズムです」(p104)とまで言う。 また萱野は佐藤俊樹に触れた件りで、佐藤ら「バブル世代って、共同体的なものを否定して、脱アイデンティティでなくてはいけないという発想がとても強」く、しかも「思想的には八〇年代のニューアカ的な知的流行の影響をものすごく受けていて、(中略)なんでもネタにして戯れる、みたいなスタンスです。ベタなものが嫌いなんですね」(p208)と分析し、批判を加えている。 しかも、萱野は言う。ナショナリズムの問題はむしろ過ぎ去りつつある。それは「プレカリアートの問題がナショナリズムではカバーできないほど深刻になってきた」(p148)からだ、と。 それにしてもプレカリアートの直面する現実から自己責任とナショナリズムの選択を引き出し、後者の肯定に振れていく展開は、「プレカリアート」を「援交少女」に置き換えるならば、宮台真司の「転向」プロセスに関する、非常に分かり易い解説になっている。またプレカリアート問題の深刻化が、宮台の「脱社会的存在」概念に通じることも明らかだろう。ただトラックの運ちゃんの息子である萱野は、「天皇!」とは言わない気がする。 ジャンヌダルク 生きづらさ、気分を読んで読んでいじめを回避すること、貧困、ニート、誰にも存在を認められないこと、隣同士で突き落としあうこと、などなど、今ここでの問題がもっともよく捉えられていると思う。 読んで損は絶対なし。 現代の「生きづらさ」の要因を平易・明快に解説 過去の対談ベースのため昨今の新書にありがちだが、いかんせん内容が薄い。だが時折はっとさせられる発言もある。 例えば何か少年の凶悪事件が起こると識者が訳知り顔に「現代人はコミュニケーション能力が落ちている」などとよく口にするが、実際は「KY」(空気が読めない)という言葉の流行に象徴されるように現代の子供たちは小さい頃から非常に高い技術の要求されるコミュニケーションの現場にさらされており、それは過去や他の西洋諸国と比しても異様な顕著さを示しているという。山本七平のいう日本人特有の「空気」教がますます先鋭化してきたということなのだろう。 社会の人材が流動化する時、自己の価値を分かりやすくプレゼンできるのは数値化・可視化できる年収や社会的地位であり、瞬時にしてその場の空気を察するコミュニケーション能力である。 自己とは他者との関係性のことである、というポストモダン以降の常識は社会の資本・人材の流動化によって思想的にのみならず物質的に完成をみたかのようである。 貧困かつKY(空気が読めない)な人間は他者から承認を得られるようなものを持たない上に、自己承認そのものが思想的・物質的に無価値のものとなった現代においては、リストカット、自暴自棄な凶行、ナショナリズムへの目覚めといったいびつな自己変容による慰藉へと向かいがちだというわけである。 本書の結論らしきものはこれから読まれる方のためにあえて伏せるが、こうした旧弊な出口を求める方法しか存在しないということに日本の未来に暗澹たる思いを抱いたのは確かである。 一人で「生きづらさ」を抱えている人たちへの熱きメッセージの書 私がこんなにも生きづらいのは何でだろうか? 親に聞いても、先生に聞いても、上司に聞いても、お医者さんに聞いても、その答えは同じ。それはあなたに問題があるから、だ。しかし、本当にそうなのだろうか? そして私がこの問題を解決できなければ、最終的には死を選ぶしかないのだろうか? 本書が取り上げているのは、こうした「生きづらさ」の問題、特にいわゆるプレカリアート(不安定労働者)たちが抱えている、生きるか死ぬかという切羽詰まった状況をめぐる問題群である。 著者(対話者)の一人、雨宮さんは自分自身の「生きづらさ」の問題を社会へと開いていくことで、つまりその原因を「アメリカと戦後民主主義」(右翼的立場)とか「社会のネオリベラリズム化」(左翼的立場)に求めることで、実存的に救われてきたという。大事なことは、実際に私たちの「生きづらさ」を生み出しているのは社会の側に原因があり、「生きづらさ」を押しつけることで恩恵に浴している(一部の)人々がいる、という自分なりの認識をもつことであり、「生きづらさ」の問題を自分一人で抱え込んで死んでいくことではない。 本書は基本的に雨宮さんの生々しい言葉を、萱野さんが聞き役に回って整理しつつ展開する、「生きづらさ」を抱える人たちへの熱いメッセージの書ではないかと思う。そのメッセージの要点は、自分を傷つけるものでしかない自己責任論にうんざりしているのなら、思い切って社会へと自分を開いてみてはどうかという提案である。もちろん、これは労働運動に関われということではない(筆者たち自身、誰にでもそれを期待している訳ではない)。そうではなく、他者のうちへと自己を開くことによって、まずは自分を承認してあげること、こうしたことから始めてみてはどうかという、心優しくも力強いメッセージなのである。 |
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